敷根崇裕の父は元フェンシング選手?彼女や結婚、高校を調査

敷根崇裕さんは、東京オリンピック代表に選ばれたフェンシング(フルーレ)の選手です。
敷根崇裕さんのお父さんや、彼女や結婚、出身高校について調べていきたいと思います。

敷根崇裕のプロフィール

本名:敷根 崇裕(しきね たかひろ)
生年月日:1997年12月7日(現時点23歳)
出身地:大分県大分市
身長:183センチ
体重:74kg
所属:ネクサス
FIE世界ランキング:日本勢1位の12位(2021/7/21現在)

出典:ヤフージャパン東京オリンピック・パラリンピックガイドウィキペディア

幼い頃から父の職場の高校の道場で兄と剣を交えて遊んでいた。世界選手権出場経験をもつ父と国体出場経験をもつ母の影響で、6歳のときに本格的にフェンシングを始めた。

10歳のときに北京五輪で太田雄貴さんの銀メダルを獲得をテレビで見て、オリンピックやメダルを意識するようになった。

小学生のころから全国大会に出場し、優秀な成績をおさめていたが、小学5年時に出た全国大会で、まったく太刀打ちできない1つ年上の選手が現れた。それは松山恭助選手(東京オリンピックフルーレ代表)だった。

以後、松山を目標として、いっそう熱心に練習するようになった。高校は松山と同じ東亜学園に進学している。2015年11月には17歳でワールドカップの団体メンバーに選出されたが、2016年2月のドイツで行われたワールドカップで結果を出せず、リオデジャネイロ五輪への出場はならず。

2016年4月には法政大学に進学。同月にフランスで行われた世界ジュニア・カデ選手権大会では、日本人として初の男子フルーレ個人と団体で金メダルを獲得。8月にはリオデジャネイロに赴き、五輪のフェンシングの試合をすべて観戦し、太田が1回戦敗退を喫する姿も目の当たりにした。

法政大学時代の主な戦績
2017年世界選手権 個人3位
2017年ユニバーシアード 団体1位
2018年アジア大会 団体3位
2019年アジア選手権 個人1位、団体1位

2020年4月には新型コロナウイルスの影響で練習場の「味の素ナショナルトレーニングセンター」が閉鎖され、練習できなくなったが、自宅待機期間に筋トレ、ランニングといった基礎トレーニングを始めた結果、

「でも毎日5km走っていたら段々と慣れてきて、毎日10km走れるようになっていました。そしたら余計な脂肪が落ちたみたいで、気づいたら77kgあった体重が69kgにまで落ちていたんです。更にフィジカルトレーニングをすごい頑張ったら、これまで意識していなかった筋肉の使い方が意識できるようになっていて。試合でも自分の体が軽くて動かしやすくなっていたんです」

出典:4years.大学スポーツ

この時期の敷根の基礎トレーニングについて、青木雄介代表監督も「フットワークが軽快になり、疲れにくくなった」と評価している。

2021年3月28日にはドーハでのグランプリで銀メダルを獲得。日本人として11年振りの快挙だった。この結果を受けてオリンピック代表が内定した。

敷根崇裕の父親は元フェンシング選手?

敷根さんのお父さんの裕一さんは、元ネクサスのコーチで、リオ五輪の後から2018年7月まで日本フェンシング協会の強化本部長を務めていました。1965年生まれで、鹿児島南高校と法政大学の出身です。日本選手権で2位となった経験があり、世界選手権にも何度も出場しています。

現在の敷根さんの、右手で握った剣を右ななめ下に下げる構えは日本では珍しいスタイルですが、これは、かつての裕一さんの剣先を左ななめ下に下げて戦うスタイルにアレンジを加えて完成させたもので、派手な大技よりも細かいフェイクをうまく使ってでポイントを奪うという戦法です。

敷根崇裕の彼女や結婚は?

敷根さんの彼女や結婚に関する情報は見つかりませんでした。

敷根崇裕の出身高校は?

敷根さんは、東京都中野区にある私立「東亜学園高等学校」の出身です。
1920年に「野方商科学校」として創立され、その後、「野方学園高校」「野方学園東亜商業高校」と校名が変わり、1975年から現在の校名になっています。

部活動では、バレーボール部が強豪として知られ、春高バレー4度の優勝を含み、全国大会で8回の優勝を果たしています。重量挙げやバスケットボールでもオリンピック代表選手を輩出しており、フェンシング部も1984年の選抜大会で桐谷乃宇奈選手(1988年ソウルオリンピック代表)が優勝したのをはじめとして、敷根さんや1学年上の松山恭助選手らによる2012年のインターハイ団体優勝まで、インターハイや国体や選抜大会などで何度も優勝している強豪です。

まとめ

以上、敷根崇裕の父は元フェンシング選手?彼女や結婚、高校を調査でした。

剣先を下げるお父さんのスタイルに影響を受けながら自分の戦い方を作り上げ、先輩の松山選手を追いかけながら技術を磨いてきた敷根さんは、北京やリオの太田さんのあとを継ぐべく、大学で同級生だった西藤選手や、同世代の永野選手、松山選手とともに東京オリンピックに出場します。「日本人同士でオリンピックの決勝を戦いたい」その希望は叶うでしょうか。個人戦での日本人対決、そして団体戦での優勝をめざしてがんばってもらいたいですね。

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Posted by toukou