出典:Wikipedia
中田久美監督の名前の由来ですが、ご自身の誕生日である9月3日であることから久美と名づけられたそうです。
兄弟はおらず、一人っ子だそうです。
出身中学は、練馬区立練馬東中学校で、その頃からバレーボールを始められます。
余談ですが、中学校の同期には尾崎豊さんがおり、当時は生徒会副会長を務めていたそうです。
中学2年のとき、山田重雄さんの英才教育バレーチームであるLAエンジェルスに2期生として入団されます。
中学卒業後はバレーボールに専念するため、通信制のNHK学園高校に進まれています。
とにかくバレーボール漬けの日々を送り、その中で才能を開花させ、中学3年生の時、史上最年少で全日本代表に大谷佐知子さんと共に選出されます。
当時はセンタープレーヤーとして出場されていましたが、セッターに転向されます。
高校卒業後は日立に進んでいます。
中田久美の経歴
1981年に第15回日本リーグで新人賞
1982年に第16回日本リーグでベスト6
1983年に第17回日本リーグでベスト6
1984年に第18回日本リーグでベスト6と最高殊勲選手賞、オリンピック出場
1985年に第19回日本リーグでベスト6と最高殊勲選手賞
1988年にオリンピック出場
1989年にワールドカップ出場、ベストセッター賞
1990年に第24回日本リーグ最高殊勲選手賞、ベスト6
1991年に第25回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
2007年にプレミアリーグVリーグ栄誉賞
などの成績を残されています。
中田久美監督が怖い?てめえらこのヤローとは?
中田久美監督について調べると怖いというキーワードが。さらにてめえらこのヤローという物騒なキーワードもあります。
中田監督は怖いのでしょうか?
中田監督の口からてめえらこのヤローという言葉が飛び出したのは、2004年6月のことです。
全日本女子がアテネオリンピック出場権を獲得した直後で、選手と中田監督はフジテレビのすぽると!という番組に生放送されました。
五輪出場が決まり、打ち上げの盛り上がりが冷めぬまま選手たちは番組の生放送に出演されました。
その時は、司会の方の声が聞き取りにくいほど、選手たちがキャーキャーと盛り上がっていたそうです。
そんな状態だったことから、中田監督がご立腹で、当時主将だった吉原知子さんにちゃんと真面目にやろうねと注意をしていたそうです。それには吉原さんも顔を引きつらせるほどだったそうです。
そして、その直後にテレビ画面がバレーボールの試合映像のVTRに切り替わり、アナウンサーが試合模様を解説し始めたところで、中田監督が自身のマイクがオンになったままだったことを知らずに選手たちに向かって「てめえら、この野郎!!」と一喝したそうです。
それにはさすがに女子選手たちも静かになり引き締まり、同時にスタジオ全体も静まりかえり、さらには全国に流れてしまったのです。
このエピソードでさすがに中田監督はやらかしたと思ったのか、フジテレビに出禁になるのではと覚悟されたそうですが、後日、日本バレーボール協会のスタッフから色々ご指導ありがとうございましたと感謝の言葉を述べられたそうです。
中田久美は旦那と離婚していた?
中田久美監督は旦那と離婚したのでしょうか?
中田監督は29歳の時、野球経験のある林隆夫さんと結婚されています。
ですが、結婚生活は長く続かず3年後に離婚されます。
離婚理由についてはお互いすれ違いの生活が続いたのが理由なのだそうです。
中田監督は自身が林さんに完璧を求めすぎたのが離婚理由と語っています。
なかなか難しいものですよね。
ちなみにお二人の間に子供はいません。
それから中田監督には彼氏や再婚の話は出ていないみたいですね。
中田久美の若い頃は?
中田久美監督の若い頃は今より髪が長かったようですね。
今も昔も変わらず綺麗ですよね。
前述しましたが、中田監督は中学生の頃からバレーを本格的に始められていて、バレーボール漬けの生活を送られています。
高校もバレーに専念するため通信制の高校を選んでいるくらいなので、あまり恋愛などをしている時間はなかったのかも知れませんね。
まとめ
以上、中田久美監督は怖いのか?旦那と離婚した理由や、年齢、若い頃についてでした。
監督としてどのようなアドバイスをされるのか、女子バレーを見守っていきたいですね。