畔柳亨丞の読み方は?彼女や結婚、父親や兄弟、出身中学を調査

畔柳亨丞のプロフィール

本名:畔柳 亨丞(くろやなぎ きょうすけ)
生年月日:2003年5月3日生まれ(現時点18才)
出身地:愛知県豊田市
身長:177センチ
体重:86kg
ポジション:投手
投打:右投右打
所属:北海道日本ハムファイターズ

出典:ウィキペディア

畔柳亨丞の彼女や結婚は?

畔柳さんの彼女や結婚に関する情報は見つかりませんでした。

畔柳亨丞の父親や兄弟について

畔柳さんのお父さんは「貴宏」さんです。畔柳さんは小学校や中学校時代には、お父さんやおばあさんの路子さんに練習につきあってもらっていました。

小学3年の頃、投手を始めてすぐの試合で、相手打線にめった打ちにされた。悔しくて、父の貴宏さん(49)に「(打席に)ちょっと立ってくれん?」と頼んだ。放課後、近くの野球場でバックネットに向かって投球練習を始めた。

父が夜勤の日には、祖母の路子さんが練習に付き添ってくれた。路子さんが運転する車で野球場まで向かう。打撃練習ではボールをトスしてくれた。中学校に入学してからは、投球練習で打席に立ってくれるようにもなった。

走り込みできつくて逃げてしまいそうな時、路子さんは「それで終わっていいの?」と厳しく言った。そんな自主練習は中学3年まで続いた。

その祖母と、三つの約束をした。「日本代表に入る」「甲子園で優勝」「プロ野球選手になる」

畔柳投手を相手に打席に立つ祖母 生前結んだ3つの約束

2021年春のセンバツでは準決勝で敗退してしまいましたが、その後、貴弘さんがコメントしています。

最速151キロ右腕の中京大中京・畔柳亨丞投手は、準決勝で無念の敗退。三塁側アルプス席で見守っていた父の貴宏さん(49)は「よう頑張った。課題は自分がよく分かっていると思う。夏もまたこの席で見たい」とその労をねぎらった。

【センバツ】中京大中京・畔柳の父・貴宏さんがアルプス応援 アクシデントで降板も…「よう頑張った」

畔柳さんの兄弟については、情報が見つかりませんでした。

畔柳亨丞の出身中学について

畔柳さんは「豊田市立竜神中学校」の出身です。

豊田市立竜神中学校

竜神中学校在学時にはヤングリーグの「SASUKE名古屋ヤング」でプレーしていました。3年時の2018年8月には、パナマで開催された「WBSC U-15ワールドカップ」の日本代表に選出され、4試合投げて、5回3分の2・被安打6・三振10・自責点6という内容でした。

2018年 第4回 WBSC U-15 ワールドカップ 試合・大会詳細

同年10月には、ドラゴンズアカデミーの一員として始球式で投げています。

10月13日(土)ナゴヤドーム最終戦に、アカデミー岡崎校エキスパートコースの畔柳亨丞(くろやなぎきょうすけ)君が始球式を務めさせていただきました。第4回WBSC U-15ワールドカップ侍ジャパンU-15代表選手として活躍した地元選手としての始球式でした。見事な投げっぷりで会場を沸かせてくれました。 pic.twitter.com/D5vq2sbxfG

— ドラゴンズベースボールアカデミー (@kidsdragons) October 14, 2018

まとめ

以上、畔柳亨丞の読み方は?彼女や結婚、父親や兄弟、出身中学を調査でした。

2021年ドラフトで入団したばかりの畔柳さんの活躍はこれからですが、すでに「魔球」を持っています。

同じ中京大中京の先輩で、昨年の東京五輪では侍ジャパンを金メダルに導いた名将からの賛辞に、テンションが上がった。畔柳は「母校のレジェンド。偉大な方。雲の上の存在のような方に褒めていただいて、すごくうれしい」と喜んだ。

独特なフォームから繰り出される“畔柳ボール”。本人は「フォークと同じ握りなんですけど、リリースのところが、ボールを置いてくる感じで投げる。ちょっと揺れながら落ちる」と説明した。打席で目の当たりにした稲葉GMは、未知の軌道に驚きを隠せない。「揺れていた。見たことがない。プロの捕手でも取るのが難しそうだった。接点が分からなかった。(元ロッテ)小宮山さんのシェイクに近い系で、もっと速いボールというイメージ」と振り返った。

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しかし、畔柳さんは、すぐに1軍で出場して大活躍というつもりではなくじっくり力をつけていくということも語っています。

21日に札幌で行われたユニホーム発表会見では、BIGBOSSが自身の背番号「1」について「シーズン中に1番をつけさせたいなと思う選手が出てきたら、すぐに変えます。そんなに1番はこだわっていない。選手が1番を付けるべき」と発言した。背番号「46」で入団した畔柳は「1年目は基礎をつくって、そんなに慌てることはないと思う」と前置きしたうえで、「ゆくゆくは1番をつけられる選手になりたいなと思います」と意気込んだ。

野球を始めた小学校時代から甲子園を沸かせた高校時代まで、常に背負ってきたのは「1」。「一番好きな数字です」と愛着も明かした。

日本ハム5位畔柳亨丞「ゆくゆくは1番を」新庄ビッグボスから奪取を目標

新庄監督から背番号1を奪うのはいつになるでしょうか。しばらく先になるかもしれませんが、注目しておきましょう。

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