五十幡亮汰さんは、小学校時代から軟式野球をはじめるとともに、中学時代には陸上短距離で全国2冠に輝いて「サニブラウンに勝った男」とも呼ばれながらも、
プロ野球選手をめざして佐野日大高校から中央大学に進み、2020年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団したプロ野球選手です。
五十幡亮汰さんの彼女や結婚、現在の状況や両親、出身中学や高校について調べていきたいと思います。
五十幡亮汰のプロフィール
本名:五十幡 亮汰(いそばた りょうた)
生年月日:1998年11月27日生まれ(現時点23歳)
出身地:埼玉県行田市
身長:171センチ
体重:67kg
ポジション:外野手
投打:右投左打
所属:佐野日大高校→中央大学→北海道日本ハムファイターズ出典:ウィキペディア
五十幡亮汰の彼女や結婚は?
五十幡亮汰選手の彼女や結婚に関する情報は見つかりませんでした。
五十幡亮汰の現在について
ルーキーイヤーの2021年は1軍キャンプ序盤で左太股の肉離れを起こし、2軍キャンプに移りました。
5月に1軍登録されて初安打初盗塁初本塁打などを記録しましたが、6月に再び同じ箇所の肉離れで二軍落ちしています。
2022年シーズンは、3月2日のオープン戦中に腰痛を訴えて途中退場しました。
試合後の受診で「腰椎椎間板ヘルニア」と診断された五十幡さんは、4月6日に手術を受け、その後はリハビリを行っています。
日本ハムは3日、五十幡亮汰外野手(23)が2日に札幌市内の病院で受けた検査で急性腰痛と診断されたと発表した。
今後については患部の状況をみながら判断する見通し。
五十幡は2日のヤクルトとのオープン戦(札幌ドーム)に「4番中堅」でスタメン出場も試合中に腰の張りを訴え、4回の守備から途中交代。試合中に札幌市内の病院へ向かって検査を受けていた。
北海道日本ハムファイターズの五十幡亮汰選手は、3月2日(水)の試合後、腰椎椎間板ヘルニアとの診断を受け、リハビリ中でしたが、下肢症状が悪化したため、
本日4月6日(水)、徳島県徳島市内の病院で経皮的内視鏡下腰椎椎間板ヘルニア摘出術を行い、無事に終了しましたので、お知らせいたします。ゲーム復帰まで3ヶ月の見通しです。
2週間程度入院し、退院後は千葉県鎌ケ谷市の球団施設でリハビリを行う予定です。
五十幡亮汰の両親!母親は腎臓癌!
五十幡亮汰選手の父親は「雅弘」さん、母親は「恵子」さんです。
母親の恵子さんは五十幡さんが小学3年生のときにがんで亡くなっています。
恵子さんの亡くなる直前の様子については、以下のような記述がありました。
お母さんは息子の野球をする姿が大好きでした。我が子がヒットを打とうものなら、飛び跳ねてキャーキャー言うほど喜んだそうです。
‥しかし、そんなお母さんは末期のガンに侵されていました。
入退院を繰り返しながら、一時退院の時には息子の野球の話を聞くことがとても楽しみでした。
そして五十幡さんが小学3年生の時、一時退院を許されたお母さんは、自宅のベッドでわが子と一緒に寝ていました。
そしてそのまま、わが子の隣で静かに息を引き取ったのです。
悲しみに暮れる五十幡さんは何に対してもやる気が起こらず、続けてきた野球も辞めようかと思っていました。
しかし母の死から3日後、生前お母さんが残してくれた手紙を見つけます。
『お母さんは野球をしている亮汰が大好きです。頑張ってプロ野球選手になってください』
その手紙を読んだ時、五十幡さんの夢は決まりました。
母との約束、夢を追いかけて~僕の選ぶべき道は決まっている~ 育脳寺子屋MAC MAC NEWS
五十幡さんがプロ野球選手を目指すようになったのはお母さんの思いがきっかけでした。
中学卒業時には陸上の方でも高校からの誘いがありましたが、迷うことなく野球をするために佐野日大高校に進学したそうです。
ドラフトで指名されプロ野球選手になることが決まった時にはお父さんの雅弘さんもコメントしています。
中学時代に陸上短距離で全国2冠に輝き、「サニブラウンに勝った男」の異名を持つ佐野日大高出で中央大の五十幡亮汰(いそばたりょうた)外野手(21)は日本ハムから2位指名。
埼玉県行田市内の自宅でドラフト会議の様子を見守った父雅弘(まさひろ)さん(54)は「ほっとした」と喜んだ。
五十幡の母恵子(けいこ)さんは小学3年生の時に、がんで他界。
雅弘さんは「野球する姿を見るのが大好きだった。
もっと見たかっただろうな」と思いをはせ、
「周囲に感謝の気持ちを持って、夢を与えられる選手になってほしい」とエールを送った。
「夢与える選手に」父激励 佐野日大高関係も喜び 日ハム2位の五十幡
五十幡亮汰の出身中学や高校について
五十幡さんは埼玉県の「行田市立長野中学校」と栃木県佐野市の私立「佐野日本大学高等学校」の出身です。
五十幡さんは、中学時代は「東京神宮リトルシニア」に所属していました。
中3時には日本代表としてWBSC U-15ワールドカップに出場するとともに、陸上短距離走で全日本中学校陸上競技選手権大会(全中)に出場して100mと200mでサニブラウン・アブデル・ハキーム選手を抑えて優勝しています。
佐野日大高校は、地元市町村の誘致に日本大学が応える形で1964年に開校しました。
1988年には中学校も開校しました。
しかしこちらは2010年に6年一貫の中等教育学校として改組されていますので、
正確に言えば学生は中等教育学校の4年生から6年生ですが、同じ敷地内に2つの高校があるような形になっています。
硬式野球部は甲子園に1989年の夏の初出場以来、春4回、夏7回出場しています。
しかし五十幡さんは、1年時に県大会決勝で作新学院に敗れて甲子園行きを逃し、その後も出場はありませんでした。
卒業生には、元読売ジャイアンツや千葉ロッテマリーンズで現在はボストン・レッドソックス所属の澤村拓一投手など多くのプロ野球選手がいます。
まとめ
中学3年時には100mと200mで日本歴代2位の記録を持つサニブラウン・アブデル・ハキーム選手に勝って全中で優勝した五十幡さんは、
プロ入り後もその俊足を生かして、2021年には27試合出場で9盗塁を記録しました。
2022年シーズンは、4月の腰椎椎間板ヘルニアの手術から復帰できるのが7月以降になりそうです。
復帰したら、目標としている盗塁王をめざして、1軍で大活躍をみせてもらいたいですね。